ボリシェヴィキ (Большевики)
愛 称:ボリシェ(Больше)
誕 生:1903年
性 別:男 | 見た目年齢:20代半ば | 身 長:180cm
レーニンを中心として活動したマルクス主義政党。 「多数派」と言う意味がついたのは、分裂のきっかけとなった党の機関紙『イスクラ』を巡っる際に、レーニン側が多数派になったからである。 ロシアにおける資本主義発展の限界を解き、直ちにプロレタリア革命が必要であるとした。 二月革命では出遅れた感。レーニンの「四月テーゼ」に応じて臨時政府には敵対。 七月暴動は失敗したが、民衆の支持を得るきっかけになった。 十月革命では対に主導権を握り、ソヴィエト政府の確立を達成した。 しかし世界史上初の社会主義国家は、先例もなく試行錯誤の日々であった。 十月革命後、左派エス・エルと連立体制を取ったがすぐにも解消。 1918年にロシア共産党、さらにソ連発足後の1925年には全連邦共産党と改名。
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赤色革命の第二の主人公。ハの字眉毛と冷や汗は標準装備。すぐに当主であるレーニンに頼りがちで頼りなさそうだが、やる時はやる。メンシェは双子の片割れのような存在に当たるが、顔も中身も似てない。すぐに口喧嘩になる。
「わ、わからず屋なのはメンシェのほう…だろ!?」
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ロシア共産党 (エル・カー・ペー/РКП(б))
→全連邦共産党 (ヴェー・カー・ペー/ВКП(б))
愛 称:ボリシェ(Больше)
誕 生:1918年(1925年改名)
性 別:男 | 見た目年齢:20代半ば | 身 長:180cm
1918年、ボリシェヴィキは「ロシア共産党Российская коммунистическая партия」と改名し、さらに1925年には「全連邦共産党Всесоюзная Коммунистическая партия」と名称を変えた。 政権を得てからの当初はテロに批判的であったが、やがて反対政党に対して武力処置を実行する。 1924年にレーニンが没した後、スターリンの指導の元でプロレタリア独裁と称して一党独裁体制を導入した。 1952年にはソビエト連邦共産党と再び改名。 そして1991年、ソ連崩壊と共に政党も解散となった。
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革命以前と比べれば堂々としているが、悩みや苦労は耐えない模様。構造上ソヴィがソ連政府の頂点になるが、実際にはボリシェ含め、書記長ら共産党員やサツィアらが政治を担っている。他国での革命を目指し、他の共産党とも積極的にやり取りをしている。
「それでも、俺は進まなきゃならないし、進んでいくつもりさ。」