イギリス史
真正水平派、またの名をディッガーズ
コミンテルン(共産主義インターナショナル)は世界共産党であり、各国の共産党はその支部である的な話が書いてあって思いついただけのネタです
東の連邦国……言わない気がしたのですが、直球にソ連と言わせるのも違和感でした。スペイン内戦の最中、赤い奴=社会主義・共産主義勢力が力を伸ばすならば反共のファシズム側を支持する方がいいと考えたのはイギリスの保守党政権(他資本主義国家)…というの…
ピューリタン革命~共和政時代の派閥擬人化
王党派とも呼ばれる。その名のとおり革命期に際して国王(チャールズ1世)を指示した派閥。 "イングランドの"長老派(プレスビデリアン)。ほかの議会派と比べると穏健且つ保守的。王の専制は批判したけど、大きな変革は望まず、和解を目指した。スコットラ…
J・K・ハーディの無念のうちの死を弔って。第一世界大戦の最中でもあり、まだ労働者のための党が確立していない中、夢半ばで息を引き取ることとなったハーディの死は悲しいものだと思いました。
産業革命から、労働者のための政党結成まで 差分と個別版↓ www.pixiv.net
「イデルティ!何もかも思い通りになってないよ!どうして?」「心配するな。いつかは上手くいくから。」 発足したばかりの弱小な労働代表委員会(のちの労働党)と独立労働党。 労働代表委員会の結成そのものは、当時ほとんど注目されることがなかったとの…
既存政党への「社会主義」浸透作戦を取っていたフェビアン協会としては、独立労働党、及びその後の労働党の結成にはあまり乗り気ではなかった。
←自由=労働主義(リブ=ラブ主義) 急進主義→ 「よぉよぉホイッグ!来てやったぜ!」「やぁ、ミスター自由党。調子はどうだい?」「ハロー、お二人さん。まぁ悪くはないよ。」 共に自由党と近しい関係にありました。
社会主義系(赤)・自由主義系(黄)・保守主義系(青) おまけの差分
1931年の保守党、自由党、国家労働機構の連立政権。首相のR・マクドナルドは国家労働機構所属だったので、一応彼が真ん中。 一方の赤色政党
「お会いできて光栄です、殿下」「私もだよ、保守党」1901年1月にハノーヴァー朝に代わる新王朝、サクス=コバーグ=ゴーダ朝が創始された。(背景は以前訪れた時に撮った国会議事堂の内部) おまけ
1917年のロシア革命に刺激され、ブリテン社会党(BSP)が労働党と袂を分かち、共産党へと再編されたという話。 蛇足(メタ)は…意図せずシリアスになってしまったので、オチをつけたかったあれです…。
「ん?初めて見る顔だな…」 「初めまして保守党、僕は国家労働機構。”ナロー”と呼んでよ」「ナロー?ふむ…まぁいいだろう。」1931年の保守党、国家労働機構、そして自由党の連立政権樹立前のイメージで。(絵については諸々使い回しである) おまけも使い回…
労働党に代わり、1931年に保守党と自由党と連立することになった国家労働機構。
2010年の保守党、自由党の連立。
1914年以降の交渉を経て、1916年にブリテン社会党(BSP)が労働党への加盟が認められたという話。 党名が似ててややこしい案件は他にも数多くありますが、グレートブリテン社会党とブリテン社会党についてはそれぞれ「イギリス社会党」と訳されることもある…
ブリテン社会党(BSP)は社会民主連盟(SDF)のメンバーを中心に新しく作られた組織であり、設立された1911年から1916年までは元SDFの指導者ハインドマンが党首でした。 「俺ができることって…?俺は、俺はどうしたらいいんだ…?」 さてSDFを中心とした左派…
グラッドストン(→)とディズレーリ(←)企画のためにデザインを考え直した二名。 ちなみにディズレーリは173cmくらい?(猫背なのでそこまで高く見えなかったようだが)で、グラッドストンが155cmくらい(当時としては平均的)だったそうです。 ディズレー…
「政府の介入なんて必要ねぇ!テメェらのことは全部テメェらでやんだからよ」
1880年代にはTUC、あるいは労働組合の中で、それまでの自由=労働主義とは異なった、新組合主義という思想(運動)が広まっていきました。政治に頼らない、あるいは頼るとしても自由党で十分だという考えが変わり、労働党の結成につながっていきます。
20世紀前半のよくある風景
保守党も保守党でこっそりと社会主義勢力側と密約を交わしてはいましたが。 旧版
WW1の時代の、自由党内の(きっと多分有名な)派閥争い。ロイド・ジョージ派は分裂して国民自由党を設立することとなる……後にまた合流するも、その後自由党の勢力は停滞していくのですが。(代わりに労働党が伸びていく)
共産党になってからの労働党と共産党の初対面。 上の作品はギャグ調で描きましたが、 実際に労働党の関係はどうあるべきか、という議論については 共産党内で紛糾していたようです。
ミュティ側のセリフについて…労働党は「第三のブルジョワ政党」とする共産党の批判があったそうで。 一方