ロシア・ソ連史-革命政府
「お元気で」 ソ連崩壊の時のボリシェ。30周年ということで新しく一枚描きました。
ネップの100周年を祝して描いた、ネップ出陣の図。戦時共産主義から一転して採用された新経済政策ネップ、社会主義的には「後退」だと認識してたんですが、後で読んだコミンテルンの本では社会主義国家を築くためには必要なものである、と思いのほか前向きに…
最後に書いてるように、ヴェー・チェー・カーも赤軍も深刻な人材不足がために、帝政時代の人材を多く採用しておりました。
「すべての権力をソヴィエトへ!」 実際にはボリシェヴィキが他の党を退けて 一党独裁状態にしたため、ソヴィエト権力=ボリシェヴィキ権力という ことになるのであった。
プロレタリアートにふさわしい文化を求めて設立された「プロレトクリト」
ソヴィエト連邦および社会主義のために戦う秘密警察ヴェーチェーカー&赤軍
1921年3月31日の出来事
「今までありがとう、"ヴェチェク"」 ソ連共産党の解散の少し前に解散したカー・ゲー・ペー
結果的には一党独裁になったけど、他の社会主義政党と協力する道も進もうとしていたんだよなぁ、と思いまして。
ボリシェヴィキは、その政権確立(プロレタリアート革命)に伴い、それまでのブルジョワによる芸術や文化を否定し、プロレタリアートによる芸術や文化を生み出すことを指標に掲げた。
革命後、ロシア共産党(ボリシェヴィキ)は、あくまでも「ソヴィエト」の権威を借りて統治をしているということになっている。 ソヴィエトは形骸化していたとも言う。
十月革命によって臨時政府は倒され、ソヴィエトがロシアの統治機関となった。
帝政政府とソヴィエト政府の秘密警察。その性質の違いは…。個別版↓ おまけ。ヴェー・チェー・カーはその多くをオフラーナから継承していたという話。
「プロレタリアート革命だぁ?ふざけるな!」背景はエル・リシツキー「赤い楔で白を穿て」より。 (善も悪もない)ただの私の歴史に対する価値観ですが、入れたくて。
理解できないもの、賛美しないものの末路は粛清
「裏切り者は誰だ?」白軍と赤軍、両軍、お互いにスパイ活動をしていたこともそうですが、裏切りや寝返りもよくあることだったようです。
「前進!」
解説は全部画中に書いたので割愛
内戦から干渉戦へ
「穀物独裁令」…戦時共産主義と呼ばれるボリシェヴィキ(共産党)の政策の一環として、発せられた令。1918年の飢饉に際し、ボリシェヴィキは農民たちが余剰分の作物を隠しているとして農村に食糧徴発隊を送り込んだ。農民層を支持基盤に持つ左派エス・エルはボ…
十月革命後、ボリシェヴィキは左派エスエルと連立したものの ドイツとの単独講和をめぐって対立し、結果左派エスエルは政権から離脱=連立解消となったという話。 ちなみに、ボリシェヴィキ内部でも講和については賛否両論ありまして、 悩んで決断した感じを…
ざっくりとボリシェヴィキが左派エス・エルと連立した話
「俺を失望させんなよなぁ、クラール?」赤軍大粛清のイメージで
「君、志願兵には登録した?」有名な赤軍ポスターのパロディ
「我々は常に正しい」 社会主義とマルクス=レーニン主義
1932年にプロレトクリトが解消され、新しく社会主義リアリズムが提唱された。
ソ連メンバー 日本語
革命後の食糧に関する危機についてのお話でした。 最後のコマのボリシェは、これで良かったのか、 良かったんだよなって言い聞かせてるつもりで描きました。 書ききれませんでしたが、この「大飢饉」をソ連政府が認めたのは、 およそ半世紀後(1980年代)の…
赤衛軍からソ連軍まで(クラーク(クラール)のデザインの変化を表にしてみたかっただけ)
「荷馬車から落ちたモノは、失ったモノ」やってしまったものは仕方ない、どうしようもないという、ロシアの諺。