ドイツ史-帝国時代
肩身が狭い社会主義労働党 肩身が狭い社会主義労働党 その2
独立社会民主党結成時、スパルタクス派も社会民主党から離れてこの新党に参加したのですが、「独立社会民主党を前進させるためにその鞭の届く範囲にいることにした」という主旨のリープクネヒトの言葉が書かれていまして。
帝政末期のドイツ保守党&帝政政府。本読んだ時の印象です。保守党が妥協して他党と連合を組まず、多数派を形成することができなかったというの、帝政が崩壊した一因な気がしてなりません。
1875年、ドイツのゴータにてラッサール派とアイゼナハ派の政党が合併する形で設立した「ドイツ社会主義労働者党」。のちのドイツ社会民主党である。
統一された強いドイツのために先陣を切る
「帝国の敵」である社会民主党と帝国政府
1887~90年の間、議会内で多数派を形成させるために、ビスマルク支持のもとで作られた同盟。但し自由主義右派政党である国民自由党としては、致し方ない妥協でもあった模様。 おまけの保守兄弟ツーショットバージョン 立ち絵並べただけのカルテルトリオ
中央党の方はカトリック信徒の支持を中心に集めて議席で十分な席を獲得したこともあり、文化闘争で争ったビスマルク(政府)からの弾圧が緩和されていったが、一方で社会主義労働党の方は厳しく取り締まわれるという話から。…むしろ政府としては、反社会主義…
「継続か解散か」―――1879年、社会主義者鎮圧法を受けて。
近代的な政党として、党内で脱宗教化するべきだという論もあったようです。
自由主義左派の進歩党VS自由主義右派の国民自由党 を傍観する保守党と帝国党
政府による弾圧がための地下活動から解放されて、社会主義労働者党が新しく社会民主党として再出発する時のイメージで。一応。画中のドイツ語は社会民主党のドイツ語Wikiから引用してます。
1879年に制定された社会主義鎮圧法を受けて、「ドイツ社会主義労働党(のちのドイツ社会民主党)は解散するべきだ」とガイプが主張したことをイメージして