登場キャラクター:早見表, 紹介
本編:ロシアドイツイギリス国際・その他地域 .

ロマノフ朝の歩み

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横長すぎてスミマセン…ロマノフ朝とツァリーズム。創始から滅亡・王家暗殺まで。
ロシア語は右から、「創始」「西欧化政策」「フランス革命」「革命運動」「血の日曜日事件」「ストルイピン改革」「ラスプーチン登場」「革命と滅亡」「暗殺事件」 です。間違ってなければ。

以下、個別絵とちょっとした解説。

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1613年にロマノフ朝が開祖してまだ間もない頃。 皇帝(ツァーリ)による強力な支配―つまり「ツァリーズム」支配にはまだまだ至らない時代。
(この小さい"ツァリーズム"とは、どうもまだ上手くいかない。)

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ピョートル大帝の西欧化政策が行われ、ロシアは大きく発展した。 ツァリーズム支配も大きく進んだ時代である。
(少し大きくなった"ツァリーズム"と、ようやく打ち解けてきた。)

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啓蒙君主で知られるエカチェリーナ2世であったが、 フランス革命で絶対王政が倒されたことで反動的にツァリーズム支配を強化した。 皇帝によるツァリーズム支配体制が完全に確立した時代とされる。
(すっかり成長した"ツァリーズム"は、不可欠な相棒になっていた。
 西の革命に恐れる気持ちは痛いほどわかるが、ロシアはあそことは違う。)

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自由主義改革が求められる一方でナロードニキ運動という革命運動が起きた時代。 アレクサンドル2世は革命運動で殺されたが、 むしろ反動的にツァリーズム支配が強化されることなった。 人民たちはツァーリへの素朴な信仰を持ち、ツァリーズム支配に慣れきっていた。
(王朝があるからツァリーズムがあるのだと思っていたが、どうもそうでもないらしい。
 俺が生き続けるには"ツァリーズム"の支えが無ければならないようだ。)

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1905年を境に自由主義的な改革が進められたが、ニコライ2世はツァリーズムを心から信望し、 またラスプーチン登場によってツァリーズムは再び強化された。 しかし時代が進んだ今、もはやツァリーズム支配は限界であった。
(周りがなんと言おうが、どうしようが、俺は"ツァリーズム"と共に前進するだけだ。)

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1917年、革命によってロマノフ朝の支配が終わる。ロシアの帝政期の終焉の時代。 ロマノフ家は生きながらえたが、翌年に暗殺されることになった。
(支配者の地位を失い、"ツァリーズム"ももういない。
 俺も一緒に死なせてくれればよかったのに。まぁ、どうせ俺も長くは生きれまい。)

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