マーリンの後にコミンテルンからやってきて中国国民党の顧問官となったボロディン。そのもとで同党の組織・軍事面が大きくボリシェヴィキ(ロシア共産党)のように改革されたとかなんとか。
またボロディンは成立したばかりの国共合作の継続を推し進め、国民党の容共・左傾化に努めました。(国民党では孫文を始め容共派がいてこそ合作が成り立ったわけですが、党内には勿論反共的な派閥もありました。)
コミンテルンもといソ連側として来ているボロディンとしては、コミンテルンの支部である共産党を通して、中国とソ連の良好な関係も望むところでありました。