チェルヌイシェフスキーの「何をなすべきか?」をもじって。一応ナロードニキ運動の終わりをイメージして描いたので過去形に。
何をするべきだったか、またどうすべきだったか…というのは、歴史(に限らず何か物事)を振り返る上で重要なことだなぁと思います(小並)
ところでふと思ったんですが、ナロ始め、赤色革命の主人公的ポジションだと認識しているボリシェもディナス(ロマノフ朝。あまり言及しないけど自分は第三の主人公と認定してる)も、他のキャラに比べたら特に「何をするべきか」「どうするべきだったか」と悩んで動いているキャラなんですよね。むしろ、だからこそ主人公であると言ったほうが正しいかも。私は彼ら主人公キャラを通して、歴史を見ているのだと思います。それぞれのキャラが、その最期をわりとすんなりと諦めのように受け入れると思っているのも、私の歴史観が反映されているんだろうなぁと思います。これについては彼らが特定の人物ではなくあくまでも擬人化だからというのもあるかな。